女性パティシエが焼菓子の鮮度にこだわった芦屋の洋菓子店

TEL/FAX:0797-32-0302 Mail:info@poche-du-reve.com 定休:火、水曜日 時間11:00〜18:00

シェフについて

シェフについて

オーナー 伊東福子 オーナー 伊東福子
出身: 兵庫県
血液型: A型
趣味: 海外旅行(自分が知らない土地にいくこと)
ドライブ
(自分が運転するのではなく助手席でぽわーっとする事)
特技: 細かな作業
自己分析: 負けず嫌い。責任感が強い。
座右の銘: 信念
愛読書: 「思考は現実化する」「7つの習慣」「café-sweets」「料理通信」
お気に入りの
ブランド:
「COACH」
両親から
教えられた事:
「人を思いやること」
「自分で決めた事は最後までやり遂げること」

略歴

  • 兵庫県生まれ。神戸海星女学院フランス語フランス文学科卒業後、同高校事務員として就職。
  • 事務員として働いている際に、フランスリッツエスコフィエへ短期留学。
  • 24歳から東京代官山コルドンブルーにて製菓を学ぶ。
  • その後、個人店勤務を経て東京パレスホテルに勤務。
  • 2006年には、日本最大級のコンクール、ジャパンケーキショー東京のコンフィズリー&クッキー部門
    にて1位にあたる連合会会長賞を受賞。
  • その後、神戸ポートピアホテル「アランシャペル」勤務を経て独立し現在に至る。

パティシエを心すきっかけ

〜お菓子作りを仕事にするか?味で楽しくお菓子作りをするかの決断〜

大学卒業後、学校職員として就職をし働いていました。就職して間もなく、新聞である女性パティシエールの記事を読みました。その記事は、お菓子を学ぶ為の留学について語っているパティシエールの活き活き輝く記事が載っていました。

「子供の頃からお菓子作りが好きで、就職してからも
自分でお菓子を作り、職場の人に味見をして貰っていました。
その時に、「美味しい!」と言って貰える事にとても喜びを感じていました。

この新聞を読んだのをきっかけに、一度しかない人生、自分が信じる道を歩んでみたい、お金には変えられない充実感、やらないで後悔するよりやってみよう10年先を考えた時に好きなことを仕事にしてやりがいを持って自分にしか出来ない事をしていたいと考えるようになりました。

「パティシエになりたいな〜職場の先輩に紹介して頂いて、神戸北野にあるお菓子教室にまず通いはじめました。そこでは自分が今まで知らなかった洋菓子の技法などを学べることにとても喜びを感じました。一緒に通っていた方々と一緒に楽しくお菓子を作っていく中でより一層
「パティシエになりたい!」
と思うようになりました。

フランスのパリにあるリッツエスコフィエに

本格的にフランス菓子を学んでみたい。という想いもこの頃から強くなりました。そこで夏休みを利用してフランスのパリにあるリッツエスコフィエに行くことにしました。学生時代にフランス語を勉強していたし、言葉は何とかなると思っていたので抵抗はありませんでした。

上/リッツエスコフィエの先生と 右/リッツエスコフィエの賞状 研修で作ったタルト

フランスでプロのパティシエから製菓技法を学び、その巧みな技に憧れました。
作ったお菓子をホームステイ先に持ち帰り、『C’est bon!(美味しい)』と笑顔で食べて貰う事に幸せを感じました。
国境を越えて、私が作ったお菓子で人を笑顔に出来る事を実感しました。
「人を幸せに出来るお菓子作りを仕事としてやりたい。」と思いました。

夏休みの貴重な経験を終え、本格的にパティシエになるにはどうしたらいいだろうと考えました。
一般的には高校卒業後、専門学校に通い、19、20歳には洋菓子店に就職をし、経験を積みパティシエになる。

でも、私の場合は違う。。。

私は24歳で業界ではかなり遅いスタートです。
私がパティシエになるには他の人の何倍も努力しなければいけない。
普通の専門学校に今から通うには時間がかかりすぎる。

そこで、働きながらでも本格的にフランス菓子を実践で学べるコルドンブルーに行くことにしました。
当時、コルドンブルーの神戸校はなく、仕事を辞めて東京(代官山)にあるコルドンブルーに通うことに
なりました。公務員という安定した職業を辞めて、パティシエになるためゼロからのスタートになるわけなので当然家族からも初めは反対されました。
趣味を仕事にすることの厳しさ、そんなに甘くない業界ということも散々言われました。

『自分が決断したことは必ず最後(自分が納得する)までやり遂げること。』
『絶対に途中挫折はしないこと。』

を約束し、何とか家族からの了承を貰いました。

24歳からの遅いスタート ・・・コルドンブルーにて製菓を学ぶ・・・

〜お菓子作りを仕事にするか?味で楽しくお菓子作りをするかの決断〜

上/コルドンブルーの先生と上/コルドンブルーの先生と

幼いころからずっと暮らしてきた地元兵庫県を離れ、単身東京へ。
不安もありましたが、当時の私はお菓子を本格的に学べることの幸せが勝っていました。
大学まで親に出させて貰っているのでこれ以上は負担をかけたくないという気持ちがありました。
学費は全て公務員時代に貯めたもので補いました。
しかし、生活費は・・・。
働きながら生計を立てていくしかない。
早朝はパン屋さんで働き、昼間はインターネットの接続案内業務を
することにしました。

その合間でコルドンブルーに通いお菓子を学びました。
初めて、親元を離れて一人で生活をしてみる事で今まで当たり前と思っていたことが大きく変わりました。
今まで支えてくれていた親への感謝の気持ちを痛烈に感じました。
親元で何の不自由もなく暮らしてきた私にとってこの東京での生活はとても意義のあるものになりました。

コルドンブルーで製菓を学び、一つ一つ得る知識が嬉しく、今まで趣味でお菓子作りをしていたころの失敗の原因も分かりました。コルドンブルーの上級コースを終える頃、菓子業界で働きながら生計を立てる厳しさも熟知していたので地元で職を探すことを決めました。


実際にパティシエとして働く

パティシエとして働く26歳からの就職活動。〜

26歳からの就職活動。
人生で2度目の就職活動ですが、洋菓子業界ではかなり年齢を重ねているということ
その上未経験であるということでなかなか厳しい現実が待っていました。
有名店と言われる洋菓子店には、製造希望で何人もの若い子たちが販売をしながら空きを待っているという現状。
運よく個人店に就職できましたが、この業界を知らなさすぎた私にとってカルチャーショックの連続でした。
今、お店を経営しておもうと当時の私はかなり考えが甘かったように思います。
お菓子を仕事としてやっていくことがどういう事なのか理想と現実みたいなものを突き付けられました。
そんな甘い考えをもった私を採用して下さったオーナーには今でも感謝しています。
結局、この洋菓子店には数ヶ月しかいませんでした。

パティシエになりたいと夢見て飛び込んだこの業界。
私の決断は間違っていたのか。
公務員を辞めて、パティシエになると決断した時、
「そんなに甘くない」
と言われた父親の言葉が胸に突き刺さりました。

縁があって知人からの紹介でパレスホテルで働くことが決まりました。
その際、自分の中で
「今度はどんなことがあっても2年から3年は絶対辞めない!」
と決断しました。
女性にはきつい重労働かつ肉体労働。
最初の頃は、30kgもある大きな袋に入った粉や砂糖を持つのもやっとでした。廃棄される売れ残ったケーキや製造で出る廃棄物もかなりの重さでした。

先輩方の仕事を見させて頂くことはかなり刺激的でした。
今まで、家庭で少量でしかケーキを作ったことがないない私にとって大きなボウルや一人では抱える事が出来ないくらいのお鍋でケーキを要領よく作っていらっしゃる姿はすごく刺激的でした。自分で考えたレシピでクリスマスケーキを作らせてもらえた時の感動は今でも忘れていません。
コンクールにも積極的に出せる環境でしたので恵まれていました。

ジャパンケーキショーにて連合会会長賞

2006年にジャパンケーキショーにて連合会会長賞を受賞することが出来たのも多くの方々にアドバイスを頂ける環境にあったからだと思います。
パレスホテルで働くことが出来たことは今の私を大きく支えてくれています。

上/とてもお世話になったシェフと
上/ピアノという盛皿デザート
上/ジャパンケーキショー連合会会長賞受賞作品

起業への想い

〜いつもでも好きなお菓子作りを仕事として続けていきたい焼菓子の本当の美味しさを届けたい。〜

女性がお菓子作りを仕事として続けていくにはかなり厳しいのが現実です。
結婚、妊娠、出産、育児などで一度離れると、容易には再就職出来ません。
より多くの方に自分が作ったお菓子を食べて貰うことに幸せを感じ、製菓技術を習得して頑張っている女性はここ最近増えています。しかしながら、年齢を重ねて家庭と両立しながら働いていける環境は整っていません。

「いつまでもお菓子作りを仕事として続けていきたい」というパティシエールの想いが独立を決めたひとつの要因です。

もう一つの想いは、日本では脇役になりがちな「焼き菓子の本当の美味しさを届けたい。」
学生時代にフランスで食べたガレットブルトン(ブルターニュ地方の焼菓子)や新婚旅行で訪れたノルマンディー地方ブブロン村で食べた一枚のバターサブレは日本で食べたものより本当に美味しくバターの香りも良く、焼き菓子なのに『鮮度』を感んじました。
最初は酪農国フランスでは良質な素材が手に入るからこれだけおいしいサブレが作れるんだと思いました。

しかし、製菓を学び、実際に洋菓子店で働き日本においても美味しい焼菓子を作ることは可能であると 確信しました。

日本では保存技術が発達し焼菓子も保存可能なものになっています。一般的には、賞味期限が1カ月〜数ヶ月付けられています。
もちろん、品質的には問題ありませんが、本当に美味しい期間は過ぎてしまっていると思います。
焼立てのサブレはフランスで食べたもののようにバターの風味も良いです。その美味しさは時間が経てば、当たり前ですが劣化していきます。
日本の保存技術を要しても焼き菓子の美味しさを維持できるのは最長でも2週間程度なのではないかと 私は感じています。

自分がお店をやるんだったらフランスで食べたような、「鮮度」を感じる焼き菓子をり多くのお客様にお届けしたい。
本当に美味しいものをお届けしたい。
これら2つの想いをかなえていく為にこれからもがんばっていきたいと思います。

ポッシュ・ドゥ・レーヴ 芦屋外観


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